【復活節第2主日礼拝】 2008年3月30日(日)午前10時半
ルカ福音書による説教「喜びを語る人」 牧師 佐藤誠司
聖書:創世記11章1〜9節・ルカによる福音書1章1〜4節
新約聖書には四つの福音書が収められていますが、その中でルカ福音書はひときわ大きな特徴があります。それは物語が始まる前に著者ルカが登場してコメントを語ることです。彼はこう語るのです。
「敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのであります。」
この書物は私ルカがテオフィロという人物に向けて語る福音の物語なのだとルカは言うのです。つまり、ルカ福音書は語り手と聞き手が明確な書物なのです。
でもテオフィロって誰なのか? 正確には分かりませんが、どことなく身分のあるローマ人を連想させる名前です。しかも、「お受けになった教え」と言うからには、テオフィロはもうすでにキリストの福音を聞いて、心を動かされている。信じ始めているのです。しかし、まだキリスト者にはなっていない。そんな人物でしょうか。でも、どうしてルカはそのようなローマ人に向けて福音を語ろうとするのか? ルカが書いたもう一つの書物である使徒言行録の最後をみると、その理由が分かります。ローマに護送されたパウロが福音を語り教え続けたところでこの書物は終わっています。原文の最後の言葉は「(福音は)妨げられず」です。パウロはルカの師匠です。ルカはパウロの殉教の死を知っているのですが、どうしても死で終わることが出来ずに、「それでも福音は妨げられない」という言葉で終わった。いや、終わりなき形で締め括ったのです。パウロが夢見たローマへの伝道を、弟子であるルカは今、ローマ人テオフィロに向けて語る福音の物語という形で追試しているのです。
ローマ伝道に寄せるルカの特別の思いは、物語の語り方にも現れています。7章1節以下にローマの百人隊長の物語が出てきます。これを読むと、聖書の信仰に好意的な百人隊長の姿が目に浮かびます。ところが、これが語り部ルカのマジックでして、よく読むと百人隊長は姿を現してはいないのです。そしてこの福音書のクライマックスである23章の十字架の物語で、主イエスの死を見届けた百人隊長が「本当に、この人は正しい人だった」と告白する場面。日本語の翻訳では伝わってこないのですが、原文ではこの百人隊長は定冠詞つきで出て来るのです。つまり「ザ・百人隊長」という感じでルカは語って、この百人隊長と7章の百人隊長との連続性(同一人物というわけではありませんが)を浮かび上がらせ、さらにテオフィロとの連続性をも浮上させる。そういう極めて高度な技巧を尽くした語り方をルカはしてみせるのです。何のためにか? 今、この福音書を読んでいる無数のテオフィロにも同じ連続性の道を歩んでほしいからです。キリストの福音に心動かされ、さらに聖書の信仰に好意を持ち、ついには「本当に、この人は正しい人だった」とキリストへの信仰を告白する。この道を共に歩むために、ルカは語り始めます。ルカという人物はあくまで喜びを語る人なのです。この喜びを分かち合うために、どうぞ礼拝に来てください。今週も主の祝福が豊かにありますよう祈ります。
【予告】
○次週の主日礼拝 4月6日(日)午前10時半 復活節第3主日 聖餐式執行
ルカ福音書による説教「神が奪った言葉、神が与えた沈黙」 牧師 佐藤誠司
聖書:ヨブ記42章1〜6節・ルカ福音書1章5〜25節
○午後7時半から同じメッセージの夕礼拝があります。
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