【聖霊降臨節第21主日礼拝―神学校日】 10月14日(日)午前10時半
第一コリントによる説教「すべて神の栄光のために」 牧師 佐藤誠司
聖書:詩編24編1〜10節・第一コリント10章23〜33節
ギリシア最大の町コリントは、偶像にあふれた町であったようです。当然、コリント教会の人々は日常生活の中で偶像との闘いを強いられます。食べ物がそうです。偶像に供えられた食物を食べても良いか? 信仰のない人に招かれて食事を勧められたら、どうするか? 難しい問題です。この難問に処する秘訣をパウロは語り始めます。
「すべてのことが許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことが許されている。しかし、すべてのことがわたしたちを造り上げるわけではない。誰でも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい」。
パウロは偶像の問題はもちろん、すべての事柄に対して、キリスト者は自由なのだと言うのです。しかし、その自由は私たちを造り上げ、他者の利益に資するものでなくてはならない。自由な態度が他者を躓かせたりしてはならないのです。難しい対処法だと思われるかも知れません。しかし、パウロはキリスト者にはそれは可能だと言い切ります。信仰のない人に食事に招かれたら、喜んで応じたらよい。出された食事はいちいち詮索せずに食べたらよい。感謝して食べたらよいのです。しかし、誰かが「これは偶像に供えられた肉です」と告げたなら、その人の良心のために食べないでいなさい。パウロの論調は明快です。どうしてこうも明快になれるのでしょうか? パウロはその秘訣を詩編24編を引用して語ります。
「地とそこに満ちているものは、主のもの」。
この一事が分かるならば、目からうろこです。もう偶像からも偶像への供え物からも自由になれる。なぜなら、偶像も、偶像への供え物も、主のもの。今は偶像の虜になっている人も、主のもの。供え物にこだわりを持っている人も主のもの。そしてこの私も、主のものではないか? ならば、主から与えられたこの自由を主の栄光のために使おうではないですか。この小さな私が神の大きな栄光を現すために用いていただけるのです。なんと光栄な、嬉しいことではないですか。食べるのも食べないのも主のため。だからパウロは言います。
「あなたがたは食べるにしろ、飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい」。
今週も主の恵みと平安があるように祈ります。


【予告】
○次週の主日礼拝 10月21日(日)午前10時半
 説教「礼拝にふさわしい姿とは」 
 聖書:詩編27編1〜14節・第一コリント11章1〜16節


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