【復活節第5主日礼拝】 2008年4月27日(日)午前10時半
ルカ福音書による説教「信じる人の幸い」 牧師 佐藤誠司
聖書:イザヤ書61章10〜11節・ルカによる福音書1章39〜56節
「そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に入った。」
受胎告知に引き続いてルカが語るのは、足早に山里に向かうマリアの姿です。
受胎告知のような大きな経験をした人は、そのあとどのような行動に出るだろうかと考えます。マリアの場合、婚約者のヨセフのもとに向かうのが自然かなとも思います。しかし、マリアはそうはしなかった。彼女は親類のエリサベトのところに向かったのです。天使の言葉が彼女を突き動かしたのでしょう。
「あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。」
しかし、マリアは、この言葉が本当かどうかを確かめるために山里に向かったのではないのです。語られた言葉はすでに出来事になっている。この言葉と出来事の直結性こそ、ルカが語る神の御業です。マリアはそれを信じることが出来た。だから、その出来事を見るために、その出来事を宿して育んでいるエリサベトのもとに急いだのです。マリアはさっそくエリサベトに挨拶をします。聖書が語る挨拶とは、神の祝福を告げる言葉のこと。神があなたを祝福しておられる。だから、挨拶は交わすものなのです。ところが、エリサベトがマリアに挨拶を返す前に、エリサベトの胎内の子がおどった。胎内の子が挨拶を返したのです。エリサベトは聖霊に満たされてマリアを祝福し、その最後にこう言います。
「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
ここにルカ福音書の主題が語られています。主がお語りになる言葉は、そのまま救いの出来事になる。今日という日に出来事になる。「あなたは今日わたしと
一緒に楽園にいる」(23章43節)。「今日、救いがこの家を訪れた」(19章9節)。
マリアはこの祝福を受けて、賛美を歌い始めます。
「わたしの魂は主をあがめ、私の霊は救い主である神を喜びたたえます。」
この「あがめる」というのは「大きくする」という意味の言葉です。神をあがめるとは、神を大きくすること。神の大きさの中に身を置くことです。その大きさの中に身を置いたときに初めて見えてくるものがあります。マリアは今、それを歌うのです。それは54節にあるように「神は憐れみをお忘れになりません」ということです。神は御前に立つ小さいものをお忘れにならず、目を留めてくださる。決して見捨てず、慈しんでくださる。これが神の憐れみです。この憐れみが、神の大きさの中に身を置くときに見えてきます。マリアはそれを見たのです。まことにエリサベトが言ったように「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」。しかし、この幸いはマリアだけのものではありません。主を信じる者すべてに与えられている幸いです。私たちの幸いです。この幸いが今週の歩みの一歩一歩のうちにありますよう祈ります。
【予告】
○次週の主日礼拝 5月4日(日)午前10時半 復活節第7主日 聖餐式執行
ルカ福音書による説教「沈黙から出た賛美」 牧師 佐藤誠司
聖書:イザヤ書43章18〜19節・ルカ福音書1章57〜80節
○午後7時半から同じメッセージによる夕礼拝があります。
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