【降誕前第7主日礼拝】 11月11日(日)午前10時半
伝道月間主題による説教「主のもとに帰って来る」 牧師 佐藤誠司
聖書:詩編126編1〜6節・ルカによる福音書17章11〜19節
詩編126編を読みました。美しい詩編でしょう?
「涙と共に種を蒔く人は 喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は 束ねた穂を背負い 喜びの歌をうたいながら帰って来る」。
「帰って来る」という言葉があります。じつはこれは聖書の大きな主題の一つです。アダムとエバが楽園を追放された。あれは、ただの処罰ではない。もう一度帰って来るようにという御心が秘められているのです。出エジプトも「帰って来る」物語ですし、主イエスも放蕩息子の譬話で「帰って来る」息子の話をなさいました。さらに詩編126編などはバビロン捕囚から「帰って来る」人々の喜びが歌われています。このように見ると、聖書が語る「帰って来る」物語には、大きな特徴があることに気づかされます。それは、人が帰って来ることの背後には神の招きと導きがあるということです。人はただ自分の意思で帰って来るのではない、神の招きに応え、導きを受けて初めて人は本来の場所に帰って来ることが出来る。だからこそ、ここには神の大きな喜びがあるのです。
ルカ福音書17章にも、そのような「帰って来る」物語があります。主イエスが10人のらい病を患う人を癒してやるお話です。物語は明快です。村はずれに、10人のらい病人が住んでいた。彼らは主イエスの来訪を聞きつけて、声の限りに助けを求める。「イエス様、先生、どうか、私たちを憐れんでください」。主イエスは彼らに「祭司たちのところへ行って、体を見せよ」と言われる。彼らはその言葉を信じて祭司のもとへ向かう。その途上で彼らは皆癒されるのです。ここまでは10人とも同じです。しかし、この先が違った。こう書いてあります。「その中の一人は、自分が癒されたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した」。
帰って来たのはサマリア人でした。主イエスは言われる。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか」。
ここには主イエスの喜びと悲しみがハッキリ語られていると思います。私たちはそのどちらをも見逃すべきではありません。御業を受けたのは10人でした。皆が恵みを受け取ったのです。しかし、恵みの受け取り方・受け止め方が全然違った。癒されたのは当たり前と思ったのかもしれません。主イエスのもとに帰って来るよりも大事なことがあったのかもしれません。主のもとに帰って来なかった理由は様々です。しかし、主イエスのもとに帰って来る理由は、一つです。主イエスに感謝し、神を賛美するために帰って来るのです。主イエスはご自分のもとに帰って来た人に、こう声をかけてくださいます。
「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」。
主イエスのもとに帰って来る人は必ず、この声を聞きます。そして主イエスのもとから遣わされて行くのです。主のもとに帰れる幸い、主のもとから遣わされる幸いが、ここにあります。これは私たちキリスト者の原点の物語ではないでしょうか。今週も主の祝福が豊かにありますよう祈ります。



【予告】
○次週の主日礼拝 11月18日(日)午前10時半 11月伝道月間B
 収穫感謝合同礼拝 説教「イエス様が見えた」 
 聖書:マルコによる福音書10章46〜52節
 礼拝の中で幼児・子供祝福式があります。小学6年生までが対象です。
○バザー 礼拝に引き続いて行います。


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