【復活節第7主日礼拝】 2008年5月4日(日)午前10時半
ルカ福音書による説教「沈黙から出た賛美」 牧師 佐藤誠司
聖書:イザヤ書43章18〜19節・ルカによる福音書1章57〜80節
ルカによる福音書の降誕物語には大きな特徴があります。それは主イエスの到来を高らかに告げたバプテスマのヨハネの誕生と主イエスの誕生が交互に語られている点です。まずヨハネの誕生が祭司ザカリアに告げられ、次に主イエスの誕生がマリアに告げられる。そしてヨハネの誕生が続き、ついに主イエスの誕生を迎える。こういう語り方をとおして、ルカは新しい時の到来を誰の目にも明らかな仕方で語っているのでしょう。ヨハネはやがて終わりを告げようとしている旧約時代の残光を背に受けて、主イエスを証しする。いうならばヨハネは旧約と新約の狭間に立たされた人物です。今や新しい時はそこまで来ているのです。
「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。」(イザヤ書43章18〜19節)
ヨハネの誕生はまさにこの御言葉の成就だったのです。そう考えると、ヨハネの父ザカリアが言葉を失ったことには大きな意味が隠されていることに気付かされます。ザカリアはヨハネの誕生を告げる天使の言葉を信じることが出来ず、この事の起こるまで言葉を奪われたのです。沈黙の日々が始まりました。その日々は、そのまま妻エリサベトの出産までの日々と重なります。やがて月が満ちてエリサベトは男の子を出産します。この老女の出産を人々は喜び合います。ところが、幼子の名前をめぐって言い争いが起きます。人々は父の名をとってザカリアと名付けるべきだと主張した。ところが、エリサベトが強く反対したのです。彼女は言います。
「いいえ、名はヨハネとしなければなりません。」
人々は困惑してザカリアに尋ねます。すると、口の利けない彼は筆談でこう応えたのです。
「この子の名はヨハネ。」
すると、たちまちザカリアの口が開き、舌がほどけて、ザカリアは神を賛美し始めた。
「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。」
さらにザカリアは聖霊に満たされて預言を語り始めます。いったいザカリアの中で何が起こったのか? 神の祝福を取り次ぐべき祭司ザカリアが、こともあろうに神の言葉を信じなかった。だから、彼は言葉を奪われたのです。しかし、10ヶ月の間、妻エリサベトと過ごすうちに、彼は妻の身体に現された神の御業を目の当たりにするのです。これが神の御業。日々成長していく神の祝福の御業だ。この御業を感謝をもって受け入れたときに、ザカリアに新しい言葉が与えられる。それは神を賛美する言葉だったのです。不信仰が神の御業によって信仰に変えられることがあります。私たち一人一人が歩んできたのは、そういう道ではなかったでしょうか? 私たちも言葉を―本当の言葉を―失っていたのです。そして神の御業を心の底から感謝をもって受け入れたときに出たのが、賛美の言葉でした。沈黙から賛美へと一歩を踏み出したザカリアは、私たちの姿でもあるのではないでしょうか? 今週も主の恵みと祝福が豊かにありますよう祈ります。



【予告】
○次週の主日礼拝 5月11日(日)午前10時半 聖霊降臨節第1主日 聖餐式執行
 ルカ福音書による説教「飼い葉桶の王」 牧師 佐藤誠司
 聖書:イザヤ書9章1〜6節・ルカ福音書2章1〜7節


【 ≪ 前の1 件 】【 次の1 件 ≫ 】
[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28] [29] [30] [31] [32] [33] [34] [35] [36] [37] [38] [39] [40] [41] [42] [43] [44] [45] [46] [47] [48] [49] [50] [51] [52] [53] [54] [55] [56] [57] [58] [59] [60] [61] [62] [63] [64] [65] [66] [67] [68] [69] [70] [71] [72] [73] [74] [75] [76] [77] [78] [79] [80] [81] [82] [83] [84] [85] [86] [87] [88] [89] [90] [91] [92] [93] [94] [95] [96] [97] [98] [99]