【降誕節第3主日礼拝】 2008年1月13日(日)午前10時半
第一コリントによる説教「秩序を建てるために」 牧師 佐藤誠司
聖書:イザヤ書32章15〜20節・第一コリント書14章26〜40節
パウロの時代、教会の礼拝はまだその形態が定まってはおらず、聖霊の導きに柔軟に応えて、じつに生き生きとした礼拝がささげられていたようです。今となってはその様子は想像するしかありませんが、今日の第一コリントの箇所はその想像に一つの有力な手がかりを与えてくれるものとして、大変に貴重な箇所なのです。パウロは言います。
「あなたがたは集まったとき、それぞれ詩編の歌をうたい、教え、啓示を語り、異言を語り、それを解釈するのですが、すべてはあなたがたを造り上げるためにすべきです。」
こういう箇所を当時の様子を想像しながら読むのは、じつにたのしいですね。当時はまだ福音書は成立していませんから、読まれるのは今でいう旧約です。旧約をキリストを証しする書として読んだのです。私たちの教会でも昨年「詩編を読み継ぐ会」というのを致しました。一人一人が講壇に上がって詩編を読み継いでいきました。コリント教会でも同じような光景があったと思います。すると、聖霊の導きと啓示を受けた人が詩編の言葉の中に、また預言書の中にキリスト証言を見出し、それを解き明かし始める。これがパウロの言う「預言」です。旧約のあそこにも、ここにも、キリストが語られているではないか! 礼拝はそういう新鮮な驚きに満ち溢れていたことでしょう。異言も語られたようです。それについてパウロは言います。
「異言を語る者がいれば、二人かせいぜい三人が順番に語り、一人に解釈させなさい。解釈する者がいなければ、教会では黙っていなさい。」
預言についても、パウロは慎重です。勝手な拡大解釈があっては困るからです。パウロはこう言います。
「預言する者の場合は、二人か三人が語り、他の者たちはそれを検討しなさい。」
当時の礼拝では、皆が座って啓示を祈り求めて、啓示が与えられた者が立ち上がって語ったようです。しかし、その言葉の途中で他の者が啓示を受けて語り始めることがあった。その場合、どうすればよいのか? パウロは興味深いことを言います。
「先に語り出していた者は黙りなさい。」
えっと思われるかもしれません。しかし、パウロが言う「黙る」とは「聞きなさい」という意味なのです。自分よりあとに啓示を受けた者の言葉を聞きなさい。その言葉はあなたにも語られているのだから、黙して聞きなさい。こうして教会では皆が互いに聞き合う中で、教会が聞くべき言葉が明らかになる。教会は神の言葉を聞くのです。その神の言葉が教会に一つの秩序をもたらします。その秩序が平和をもたらします。だからパウロは言うのです。
「神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです。」
この秩序と平和が教会のエートス(美しい習慣・たたずまい)を形成していきます。このエートスがそこに集う者一人一人を造り上げるのです。教会とは制度でも建物でもありません。生きている主の体であり、信仰者を生み出す命が宿っている。だからパウロはこれをエクレーシア(呼び集められた者)と呼んだのです。今週も主の祝福が豊かにあるように祈ります。



【予告】
○次週の主日礼拝 1月20日(日)午前10時半 降誕節第4主日
 第一コリントによる説教「最も大切なこと」
 聖書:詩編16編1〜11節・第一コリント15章1〜11節


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