【受難節第1主日礼拝】 2008年2月10日(日)午前10時半
第一コリントによる説教「復活はキリストから来る」 牧師 佐藤誠司
聖書:詩編30編2〜13節・第一コリント書15章20〜34節
今日も詩編の言葉を読みました。初代教会の人々が賛美歌として歌い、また主イエスの御業を映し出す福音の書として読んだのが詩編です。詩編はそれほどまでに初代教会の礼拝をじつに豊かに、キリストの香りに満ちたものにしていたのです。その詩編に「敵」という言葉がたくさん出てきます。今日の詩編にも出てきました。
「あなたは敵を喜ばせることなく わたしを引き上げてくださいました。」
独りでは戦い得ないもの、その前から逃げてはならないし、目をそむけてもならないもの。命を脅かすもの。しかし、神が味方であるならば、戦うこともできるもの。そして最終的には神が勝利してくださるもの。それが詩編の言う敵です。このような詩編の言葉に養われて、パウロは言うのです。
「最後の敵として、死が滅ぼされます。」
パウロはこれをキリストの復活と死者の復活という文脈で語っています。キリストの復活と死者の復活は切り離すことの出来ない神の御業であり、神はキリストを死者たちの初穂として甦えらせてくださったのだ、と。
ところが、コリント教会のキリストの復活を信じていると言いながら死者の復活が信じられない人々が現れたのです。これはキリストの復活が他人事になっていたということです。自分と関わりのないところで彼らはキリストの復活を信じていたとも言えるでしょう。しかし、それが復活信仰と言えるか? パウロは言います。
「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。」
パウロは反論を試みているのではありません。彼はただ、主イエスの御復活によって開かれた望みを語っているだけ。神の御業を驚きと感謝をもって述べているだけなのです。なぜなら、主の復活は他人事ではないから。だから、パウロはキリストの復活と自分たちの命との関係を語ります。そのためにパウロはまず、罪と死の真相を語ります。
「アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。」
すべての人はアダムのように罪を背負って生きている。その行き着く果てが死なのです。しかし、キリストが十字架ですべての人の罪を背負い、死者の中から初穂として復活してくださったことによって、「すべての人が生かされる」道が開かれたのです。さらにキリストはあらゆる敵や支配を滅ぼし、最後の敵である死を滅ぼしてくださる。これによって私たちは罪赦され、死を超えて神の前に生きる者とされる。ここがキリスト者の行き着く先なのです。今の私たちはここに至る道の途上にある。だから、パウロは最後に言うのです。
「思い違いをしてはいけない。」「正気になって身を正しなさい。」
希望に対して目覚めていなさいとパウロは言うのです。これは混沌の闇にも見える現代に生きる私たちへのメッセージではないでしょうか。今週も主の祝福が豊かにありますよう祈ります。
【予告】
○次週の主日礼拝 2月17日(日)午前10時半 受難節第2主日
第一コリントによる説教「朽ちない命、朽ちない体」 牧師 佐藤誠司
聖書:詩編90編1〜17節・第一コリント書15章35〜49節
○礼拝後、婦人会と青年会の例会があります。ご参加ください。
【 ≪ 前の1
件 】 ・ 【 次の1
件 ≫ 】
[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19] [20] [21] [22] [23] [24] [25] [26] [27] [28] [29] [30] [31] [32] [33] [34] [35] [36] [37] [38] [39] [40] [41] [42] [43] [44] [45] [46] [47] [48] [49] [50] [51] [52] [53] [54] [55] [56] [57] [58] [59] [60] [61] [62] [63] [64] [65] [66] [67] [68] [69] [70] [71] [72] [73] [74] [75] [76] [77] [78] [79] [80] [81] [82] [83] [84] [85] [86] [87] [88] [89] [90] [91] [92] [93] [94] [95] [96] [97] [98] [99]